
熊野古道九十九王子の中の五体王子の一つ、印南町切目王子神社旧跡の歴史を広く知ってもらおうと、地元有志でつくるうらしま会が、同神社旧跡にまつわる貴重な文献を書き下した説明看板と、中世の頃の周辺地図を示した看板を設置した。説明看板には1200年、後鳥羽上皇が切目王子で開いた歌会のことなどが書かれており、世界遺産級ともされる同神社旧跡の歴史的価値を発信していく。
看板はいずれも縦90㌢、横180㌢のアクリル製。文献を書き下した説明看板は現切目王子神社東の同神社旧跡に設置。江戸時代後期の紀州藩漢学者で「紀伊続風土記」を編さんした仁井田好古が同神社旧跡について記した「切部(切目)神祠碑記」の文献があり、それを印南町出身の弁護士で日高新報の創始者でもある井上豊太郎が書き下し、1936年に出版した「詳解紀伊郷土文献拾遺」に掲載。今回の説明看板は、さらに昔の漢字を現代の文字に直すなどし、より分かりやすくして紹介している。
時の天皇が熊野へ行幸する際の神拝所が99カ所にあり、中でも神像が祭られている切目王子など5カ所の五体王子は別格であること、現在国宝となっている切目懐紙の和歌を詠んだ歌会は後鳥羽上皇が熊野行幸の時、群臣を祠前に集めて開いたことなどを説明。また、後醍醐天皇の皇子である大塔の宮(護良親王)が、この祠で宿泊された際に、「十津川に行くのがよい」と神のお告げがあったことや、「大塔の宮の威霊(いれい)は、すなわち万世に輝いて我邦人を守護せらるるであろう」などとしている。
中世の周辺地図を示した看板は現切目王子神社の長床前に設置。同神社旧跡、御所跡、熊野街道のルート、西蓮寺跡、現切目小学校などをカラーで紹介している。切目王子や熊野詣でのイラストが入り、同神社が発祥とされるナギの葉のお守りも描いている。
寺下鎮雄会長(75)は「切目王子は調べれば調べるほど奥が深く、私自身、その歴史的価値に驚くばかり。熊野の入り口として鎌倉時代に描かれた曼茶羅図も残っている。世界遺産としての価値が十分にあると思いますが、地元でも知らない人がおり、より多くの人に紹介して、後世に伝えていきたい」と話している。
看板設置には2019年度の「印南まちづくり基金」を活用。うらしま会では4年前から、同神社旧跡の一角にゆかりの木を植樹するなどして「切目懐紙なぎのさと公園」も整備するなどし、切目王子のPRに努めている。
切目王子の世界遺産登録については、先の県議会6月定例会で坂本登議員(日高郡選出)が一般質問で提案している。
写真=貴重な文献を書き下した説明看板と寺下会長