志村けんさんの訃報に思う

 小学校低学年の頃、一番好きな番組の一つが「8時だヨ! 全員集合」だった。時間になるとテレビの前に走っていき、プロレス好きな父とチャンネル争いしたこともあった。志村けんさんが荒井注さんに代わってドリフターズに加わった時のことも覚えている。持ち歌「東村山音頭」も4丁目、3丁目、1丁目と全部思い出せる◆大きくなってからは他に関心のあることも多く、特に熱心に志村さんの番組を見ることはなかったが、毎週日常的に見ていた人だったので、新型コロナウイルス陽性との報道からあまりにも早く訃報が伝えられたことにただ驚いた。山田洋次監督、原田マハ原作の映画「キネマの神様」に主演が決まっていたことを知り、残念という言葉では表しきれないほどの思いがした◆海外でも速報が流れ、悼む声が多く寄せられたとの報道で、台湾の蔡英文総統による「台湾人にたくさんの笑いと元気を届けてくれてありがとうございました」との日本語の追悼を見た。その背景について幾つかのサイトで解説されていた。80年代、民主化前後の激動の台湾では当局の検閲を受けた番組しか見られなかったが、それを掻いくぐるように日本の番組が入ってきた。中でも人気が高かったのは志村さんの番組で、体を張ったコントに人々は腹の底から笑った。彼は爆笑王であると同時に、自由のシンボルでもあったという。蔡総統はじめ台湾の人々の思いについて「その悲しみに外交辞令や政治的な計算は一切ない」とする解説があり、印象に残った◆世界中がかつてないほどの見えない敵と戦い、長期にわたる忍耐の生活を強いられる今、心を活性化してくれる「笑い」の存在について思っている。(里)

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