
戦時中、田辺市龍神村殿原地内に墜落したB29乗組員のアメリカ兵への思いや不戦への願いを込めて、故古久保滿璃子さん(享年79)が作った歌「殿原の祈り」を後世に語り継ごうと、同地の有志が「連合将士の慰霊碑」の横に歌碑を建立。10日に除幕式が行われ、地域住民ら約30人が「殿原の誇りとして後世に語り継いでいこう」と平和への思いを新たにした。
先の大戦末期の1945年5月5日、米軍爆撃機のB29が日本の戦闘機との空中戦で殿原の西ノ谷に墜落。搭乗兵11人のうち7人が死亡、生存した4人は捕虜となり、3人が処刑(1人は不明)された。殿原の住民は戦時中にもかかわらず米兵を埋葬して供養する卒塔婆と十字架を建て、その後、惣大明神横に慰霊碑を建立。毎年慰霊祭を続けている。
古久保滿璃子さんは墜落当時小学5年生で、中学生のときに思いを日記にしたためていた。2010年ごろ、通っていたパソコン教室で日記をもとに歌にアレンジして打ち直し、2012年に「殿原の祈り」として完成「兵士の御霊慰めん 殿原の熱き想いを伝えよう」「殿原の想いよ届け 世の果てまでも」などの言葉で平和への願いを込めた。
元中学校長の古久保健さん(82)も墜落を目撃した一人。「米兵の遺族に彼らの最期を伝えたい」と遺族を探し当て、対面を実現したほか、その経緯と訪米を撮影したドキュメンタリー映画「轟音」の制作に携わるなど活動している。「殿原の祈り」は永渕房夫さん(上富田町)が作曲して歌になっており、轟音のエンディング曲にも使われている。若い世代にも引き継いでいこうと、歌碑を建立した。
除幕式には滿璃子さんの遺族や地域住民が出席。健さんは「滿璃子さんは中学生の純真な思いを老齢になって書き直した。平和な世の中をつくらなあかんという思いが込められており、何とか残したいと思い、多くの皆さんの協力で歌碑を建立することができた。殿原の誇りとして大事にしていきたい」と熱い思いを込めてあいさつした。滿璃子さんの長男、真介さん(56)は「天国で喜んでいると思います」と話し、深瀬松視区長も後世に残していくよう協力を呼びかけた。
式の終了後には、永渕さんがギターを演奏しながら歌を披露した。
写真=関係者が除幕して披露された歌碑