
北朝鮮による拉致被害者で、17年前に帰国した蓮池薫さん(62)が23日、御坊市民文化会館で講演した。自身の拉致事件と24年間の北朝鮮での生活を赤裸々に告白し、「いまも帰国できない人たちはおそらく、ぎりぎりの精神状態で日本へ帰れる日がくるのを待っている。いま、私たちに必要なのは声。日本人が拉致被害者救出をあきらめたと北朝鮮に思わせないよう、声を上げ続けてください」と呼びかけた。
講演は、御坊市と市人権啓発推進協議会が主催する人権講演会。拉致問題に対する市民の関心は高く、会場には満席の約900人が詰めかけた。蓮池さんは「夢と絆~翻弄された運命の中で」と題し、自身が拉致された事件や北朝鮮での生活を振り返り、被害者と家族の心情について切々と語った。
拉致されたのは、東京の大学3年生だった1978年7月、新潟県柏崎市の実家に帰省し、当時交際していた女性(現在の妻祐木子さん)と海岸にいたとき、北朝鮮の工作員に襲われた。
「昼間、彼女と海を見ながら話していると、男が『たばこの火を貸してほしい』と近づいてきた。私がライターを渡した瞬間、背後からいきなり顔面を殴られ、ものすごい力で組み伏せられた。私と彼女は引き離され、私は袋詰めにされて日本の漁船に偽装した高速船に乗せられ、眠り薬を注射され意識がもうろうとなった」。目が覚めたとき、そこは北朝鮮のアジト(招待所)だったという。
1年9カ月後、北朝鮮の方針転換により、日本へ帰ったと聞かされていた祐木子さんと再会、結婚。その後も87年末の大韓航空機爆破事件とキム・ヒョンヒの逮捕をきっかけに大きな変化があり、北朝鮮の後ろ盾だった旧ソ連の崩壊で一気に帰国が現実味を帯び始め、02年10月、自分たち夫婦と地村保志さん(64)夫婦、曽我ひとみさん(60)の5人の帰国が実現した。
北朝鮮に拉致された人は「夢を奪われ、家族との絆も断ち切られ、命以外のすべてを失った」といい、横田めぐみさん(55)らまだ帰国できない被害者家族については、「めぐみさんの父滋さん(87)はお体の具合がよくなく、早紀江さん(83)は最近、『お父さんがめぐみを見て、めぐみと分かるうちに一目会わせてあげたい』と話されるようになり、つい先日も『(めぐみさんの帰国を待つ日々を)生殺しの人生』とおっしゃっておられました。非常に悲しい現実です」と述べた。
最後に「北は日本の(被害者を返せという)世論が小さくなるのを待っている。そうなるのを阻止し、北が拉致被害者を帰国させないと仕方がないと思うまで、私たち日本人は声を上げ続けなければならないんです」と世論喚起を促した。
写真=拉致被害の実態を語る蓮池さん