風物詩と恒例行事のマンネリ化
- 2019/8/19
- 日高春秋
今週末、日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ」が放送される。毎年この時期恒例で、事前のコマーシャルを見かけるようになると、日中の暑さはまだまだ厳しいが、そう言えば日が暮れるのが早くなったなと夏の終わりを感じさせる。
24時間テレビと言えば、番組の間中走るマラソンが話題になるが、始まったのは27年前。初代は間寛平で、毎年いろいろな芸能人が挑戦し、昨年はお笑い芸人のみやぞん(ANZEN漫才)がトライアスロンに挑戦した。自転車人気が高まって、トライアスロン人口が増えているからか、それともマンネリの解消かと思ったのを覚えている。今年は、いとうあさこ、ガンバレルーヤよしこ、ハリセンボン近藤春菜の女芸人3人と当日発表される4人目のランナーが駅伝形式で完走を目指すという。挑戦する人は辛い練習を重ねて本番を迎えるだろうが、なんとなく「『すごいことへの挑戦』という感じがしないなぁ」と気楽ないち視聴者の立場から思った。が突然、今まで筆者が参加した大会で断トツに苦しかったマラソンを思い出した。24時間リレーマラソンだ。ランニング仲間9人で、1・3㌔の周回コースを交代でひたすら走った。最初はお祭り騒ぎで楽しかったが、真夏の暑さのなか、食事も喉を通らず、会場周辺に張ったテントでの仮眠もうまくとれずに本当に辛くて、仲間内では数年経っても未だに話題に上るほど。それを思うと、24時間テレビランナーもさぞ苦しいだろうと思えてきた。
本紙でも恒例行事や風物詩を掲載することがよくあるが、毎回そこには違ったドラマや続けることの意義、参加者の思いがある。そのことを念頭に置いて取材し、読者がマンネリだと感じない記事を書きたいものだ。(陽)