悲劇の心中と自爆テロ
- 2019/4/26
- 日高春秋
スリランカの爆破テロは犠牲者が250人以上に上り、捜査当局は自爆した9人の実行犯がイスラム過激派組織から資金援助を受けていた可能性があるとし、約60人の身柄を拘束、調べを進めているという。
不特定多数を巻き添えにする自爆テロは防ぎようがない。今回の実行犯の多くは中流階級の高学歴者で、経済的にも安定しているらしく、この点だけをみれば、貧困や社会に対する不満、怒りが理由でもなさそうである。
自ら死へと突き進む行為は絶望の針が振り切れた場合に起きる。日本ではまだ自爆テロはないものの、自分を認めてくれない社会への報復として、無差別に他人を巻き込む大量殺人事件は何回かある。
これほど身勝手で迷惑な話はないが、ある精神科医はこの通り魔的殺人犯も家族間の無理心中も、絶望が一つのきっかけとなる点が共通していると指摘し、拡大自殺という言葉でひとくくりにする。はたしてそうなのか。
先日、作家辻原登さんの無理心中をテーマとした掌編小説が朝刊に掲載された。桜の花の下で、末期がんの妻に夫が口移しで青酸カリを流し込み、自分も死ぬつもりだった夫は妻が苦しみ絶命する姿を見て意識を失い、殺人容疑で逮捕される。
妻は死に際、何かいおうとするが言葉にならず、辻原さんは「……」と表現した。その理由は「自分でもあまりにせつなくて、書けなかった」という。真実を読者の想像に委ねる小説家のテクニックだろうが、本当にそうだったのかもしれない。
イベントでそんな辻原さんの話を聞いた同じ日、スリランカの惨事が起きた。人を思いやり、愛するがゆえに起きる悲劇の心中と、自爆テロや大量殺人。どう考えても同列には置けない。(静)