終わらざる夏2018⑦ 小瀬静代さん

カズミちゃんの家に爆弾が直撃

日高町比井の小瀬静代さん(83)は1935年(昭和10)1月3日、御坊市薗の小竹八幡神社北で、大出歯科医院を経営する弥三太郎さんの長女として生まれた。きょうだいは静代さんを含め6人と多かったが、父親が歯科医ということもあって生活には困らなかった。ただ、戦時中は看護師やお手伝いさんを置かせてもらえず、父と母2人で経営していた歯科医は毎日大忙し。夜明け前の午前3時から治療機器の消毒などを行っていたほか、入れ歯も自ら作る必要がある。それでも診療所には毎日朝から患者が並び、両親は休むことなく働き続け、「患者は5人いればもう結構」と漏らしていたこともあったという。

静代さんは近くにある日高別院の御坊幼稚園に1年間通った。そのとき、仲良くなったのが近くの源行寺の娘、湯川カズミさん。「園のみんなで白浜の病院へ慰問に行ったとき、『白いお帽子、白い服、いつもやさしい看護婦さん』とみんなでうたい、カズミちゃんが踊っていたのを思い出します」。幼稚園は1年で終わり、それ以降、カズミちゃんと会わなくなった。

41年(昭和16)、静代さんは御坊国民学校に入学した。5年生になった45年(昭和20)、戦況は目に見えて悪化の一途をたどり、日高地方もたびたび空襲に遭うようになった。6月7日、いつも通り学校で勉強していると、空襲警報が発令された。教諭らは「早く帰れ」と子どもたちをせかした。当時、御坊国民学校は1学年10クラスもあるマンモス校で、その日、玄関には多くの子どもたちが詰め掛け大混乱になった。そんななか、見慣れた顔の女の子がこちらを向いて手を振っていた。「カズミちゃんだ」と思った静代さんも久しぶりの再会にうれしくなり、笑顔で手を振ったが、それがカズミちゃんを見た最後だった。子どもたちが学校から帰ってすぐ、家の近くで爆撃があり、カズミちゃんが住んでいる源行寺に爆弾が直撃。寺の住人ら11人が死亡した。

「ちょうど学校から帰って家に入ろうとしたとき、バリバリバリと音が響き、怖くなって溝に入って目と耳を押さえました。爆弾はカズミちゃんの寺に落ちたようで、近所の人がカズミちゃんの体の一部が井戸の近くに落ちていたと話していました。あのとき、学校から帰らなかったら死んでいなかったのに…」と、病院訪問の際、元気に踊っていたカズミちゃんを思い出しながらしみじみ話す。

それ以降、日に日に空襲は激しくなった。「ある日、自宅近くの裁判所の裏に不発弾が落ちたという連絡があり、『早く逃げろ』と皆が叫んでいました。逃げろと言われてもどこに行ったらいいのかわからず、学校近くのススキにもたれて一晩を過ごしたこともありました」と振り返る。しばらくして大出さん一家は、弥三太郎さんの実家がある日高町阿尾へ疎開することになった。

 

阿尾へ疎開、終戦後もつらい日々

静代さんらが阿尾へ疎開してすぐに、御坊の歯科医院があった場所周辺で空襲があった。運悪く、母方の祖母が荷物を取りに行った際に空襲に遭い、祖母と5歳の孫は庭にあった防空壕に避難。爆撃は免れたが、防空壕のふたに岩が落ちたようで、出るのに苦労したという。その際、診療所は爆風を受け、ガラスがほとんど割れるなど大きなダメージを受けた。

疎開してすぐの7月31日、診療所での過労のせいか、父弥三太郎さんが亡くなった。「煙が上がると敵に攻撃される」と区民たちは火葬を反対した。「母が泣きながら何度も焼かせてもらえるよう頼み、極力煙が出ない方法でなんとか火葬できました。前日に亡くなった方は焼かせてもらえなかったそうです」と話す。

阿尾の国民学校は兵隊の宿舎となっていたため、静代さんたちは光徳寺で勉強した。ただ、勉強は2、3時間程度で、すぐに山すその草刈りに連れ出されたという。「あのときの草は何に使ったかわかりません。軍馬の餌だったのでしょうか。尋ねることもなく一生懸命作業していました。学習は遅れ、算数の九九を5年生のころに覚えていたことを思い出します」と振り返る。

8月15日正午、日本の敗戦を告げる玉音放送が流された。ラジオは10軒に1軒程度しかなかったが、静代さんの家にはあった。周辺の大人たちが集まって聞いたが、「ジー、ジー」という雑音ばかり響き、内容は聞き取れなかったという。「それでも兵隊たちは敗戦を知ったようで、道端で大人の男の人が『日本が負けた、日本が負けた』とワンワン泣いていました。それまでは日本の飛行機が1機で敵を5機やっつけたなどと知らされていましたが、全部うそでした」と話す。

終戦後は食糧難と物資不足に悩まされ、小学生だった静代さんにとっては戦争よりつらい時期だった。海に面した阿尾では地引き網ができたので、魚は手に入ったが、冷蔵庫がないので井戸につるしたりして保存したという。

戦争は終わっても人々の心の中の恐怖や悲しみは消えることがなかった。近所のおばさんは毎日のように静代さんの家に来ては、「トクジ(息子)が戦死した。もう帰らぬ、もう帰らぬ」と涙を流し続けた。15年間兵役を務めた叔父のキヨジさんは無事帰還したが、妻の話によると夜中に突然起き上がり、「進め 進め」や「銃はどこだ?」「帽子はどこだ?」と叫び、戦争の後遺症に悩まされ続けたという。

静代さんはその後、高校を卒業し、小学校教諭として人生を送った。悲惨な戦争体験を振り返り、「いまはとても平和で、テレビで野球や相撲を楽しんだり、好きなことができる。戦争中には考えられないこと。もう二度と繰り返さないでほしい」と切に願っている。

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