昭和の戦争末期、米軍の本土上陸に備えて各地の海岸沿いに構築されたトーチカ等を調査している市民グループ、日高平和委員会が19日、御坊市と美浜町で一般公開の現地調査を行った。
旧陸軍作成のトーチカ、塹壕、壕などの設置計画図「築城施設要図」を基に、御坊市野口に残る砲台跡、同地の浄土真宗安楽寺(伊藤明子住職)の釣り鐘、御坊市湯川町丸山の亀山に残るトーチカ跡、美浜町和田(本ノ脇)に残る壕跡などを巡った。
安楽寺は全国的に行われた梵鐘供出により、釣り鐘や金属の仏具を軍に供出。釣り鐘は融かされることなく、戦後、6個の穴が開いた状態で戻ってきた。また、花瓶やろうそく立て、香炉等の仏具は供出時、かわりに陶器のものが提供され、安楽寺では元の仏具は戻ってくることなく、現在も陶器のろうそく立て、花瓶が使われている。
この日の案内人の湯川逸紀さんは美浜町の三宝寺の住職で、現在は浄土真宗本願寺派和歌山教区御坊組の組長を務めており、湯川さんによると、御坊組と日高別院を合わせて28カ寺のうち、戦後、供出した釣り鐘が戻ってきたのは安楽寺、源行寺(御坊市薗)、日高別院(御坊市御坊)の3カ寺だけ。戦時中、釣り鐘がなくなった鐘楼を守るため、鐘のかわりにコンクリート製の鐘や巨石をつり下げていた寺も多く、印南町の浄土宗西蓮寺(西ノ地)や浄土宗光明寺(島田)、「お瀧さん」で知られる瀧法寺(印南原)には、釣り鐘のかわりとなった石が残されているという。