やはりあの方の直筆でした

 御坊小学校の校長室に掲げられている「御坊黌(こう)」の書額が、伊藤博文の直筆であることが、専門業者の鑑定結果で明らかになった。御坊と伊藤博文との交流が不明だったが、御坊と会津藩士・山川浩との交流の調査の中で、山川が仲介した可能性が高いことも判明。非常に価値が高く、市では有形文化財指定へ向けて取り組んでいくことにしている。
 17日の御坊商工会議所地域活性化・観光推進委員会で、大谷春雄さんが明らかにした。額には「御坊黌」の文字が右書きされており、「伊藤博文題」の文字も記されているが、これまで本物かどうかは不明だった。大谷さんらが大正期に御坊小校長を務めた薗和四郎氏の孫から「古くから伊藤博文の書であることが広く知られていた」という証言を聞き、京都美術倶楽部会員の紹介で京都市の専門業者に鑑定を依頼。書の筆致や他の作品との書風の比較、生地である絹本の調査などから、伊藤の中年期に書かれた作品であると断定、真筆であることが判明した。当時、和紙より高価だった絹本に墨書きのうえ、朱印も捺印されており、正式な依頼で書かれたことをうかがわせるという。
 伊藤と御坊のつながりが不明だったが、大谷さんによると、伊藤と懇意だった山川が仲介した可能性が高いという。山川の妹である捨松は1883年(明治16年)に大山巌(薩摩藩出身)と結婚。披露宴には伊藤博文も出席。1885年から88年までの4年間、大山は伊藤内閣の陸軍大臣を務めた。山川は同じ伊藤内閣中の86年、文部省管轄の東京高等師範学校の校長に就任している。藤園小学校だった御坊小は87年に御坊高等尋常小学校に改名。当時、児童数は2000人を超え、県内最大だった。
 翌年、山川は学事巡視のため御坊を訪れており、大谷さんは「学事巡視は教育に力を入れていくために行われており、御坊では御坊小を訪ねているはず。尋常小学校に改名後で、まだ額などがなかったため、揮毫を依頼したのではないか。伊藤博文に依頼できる人物は、御坊では山川さん以外に考えられない」と分析している。約130年前に書かれた伊藤博文直筆の書額は文化財の価値が高く、大きな話題となりそうだ。

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