それぞれの戦争を訪ねて⑤ 由良町の中塚清さん

 大東亜戦争末期、日本陸海軍は、劣勢となった戦局の打開へ体当たり自爆攻撃を行う特攻兵器を開発した。航空機に乗って行う特攻隊をはじめ、有人式の誘導ミサイル「桜花」、人間魚雷「回天」、人間機雷「伏龍」など。その中の一つに「震洋」がある。ベニヤ製のモーターボート型の特攻兵器で船首に250㌔爆弾を取り付け、敵戦艦に体当たりする。搭乗員は、海軍飛行予科練習生(予科練)出身者らが中心で、機体がないため余剰となった航空隊員だった。パイロットに憧れて予科生となった、由良町里の中塚さんもその一人だった。

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 大正15年11月7日、中塚さんは由良町里、現在の由良小学校近くで靴屋を営む助次郎さんの長男として生まれた。小さいころから花形の飛行機乗りに憧れて勉学に励み、由良小学校卒業後は耐久中学校に入学。空への憧れからグライダー部に入部し、5年生になると同時にパイロットの訓練を行う、甲種飛行予科練習生を志願した。

 三重海軍航空隊奈良分遣隊に配属され、天理市内の天理教会の建物を隊舎とし、日々訓練に励んだ。訓練は走り込みなどの体力づくりや勉強など基本的な教育が中心だったが、教官から八角棒で尻を叩かれるなど厳しいものだった。隊には朝鮮や台湾、中国などの外地で育った日本人隊員もいたが、上官の厳しく差別的なしごきに耐えかねて3人が自殺したという。「貧しい国内と違い、外地の人は比較的大事に育てられてきたのか、精神面が弱かったのかもしれません。飛び降り自殺のことは飛行機の名前からボーイングと呼ばれました」と振り返る。

 教育訓練中のある日、全員が講堂に集められた。教官は「日本にはもう飛行機がなくなった。しかしドイツのV1、V3に勝る超強力な新型兵器ができた。その操縦士を募りたい」と告げた。事実上命令となる報告に、隊員のほとんどが志願した。
 昭和19年9月、中塚さんらは大阪から出発する列車に乗せられた。外から中の様子がわからないよう窓がすべて閉められた列車。到着したのは、震洋の訓練を行う長崎県大村湾川棚の川棚海軍臨時魚雷艇訓練所だった。

 川棚の訓練所に到着後、教官から「明日、兵器を見るが、がっかりするなよ」と言い渡された。翌日、中塚さんらは初めて「震洋」を目にした。一般的にベニヤ製となっているが、中塚さんが見たのはもう少し丈夫な見た目で、全長は5㍍程度。これに乗り特攻すれば命がないことは明らかだったが、誰も何も口にしなかったという。「初めて見た時は『ああ、こんなものか』と思っただけで、特に何も感じませんでした。皆、お国のためにと教育されてきていたため、覚悟はできていたのでしょう」と振り返る。

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 川棚では薄(すずき)部隊に配属され、震洋の操縦方法を学んだ。操縦は主にハンドル、アクセルペダル、ブレーキペダルと単純で、簡単に操れるようになった。操縦を覚えてからは夜間に12隻で出発、縦一列になって敵艦に接近し、直前で左右横一列に並んで全速で体当たりする訓練を繰り返した。「海上には運搬船などもあり、敵戦艦に見立てて猛スピードで近づき、ぎりぎりで避けました。乗船者が驚いた顔をしていたのを覚えています」と話す。

 約2カ月間、訓練を受けたあと、震洋艇とともに貨物船に乗り込み、台湾最南端のバシー海峡を望む「がらんび岬」の基地を目指した。一度、航海中に浮遊機雷で船が損傷し、呉基地で修理を受け、20年1月に再び出航した。基地に到着後も訓練は続き、内海と違い荒れる海での訓練となり、エンジン故障などで転覆、沈没する事故も相次ぎ、仲間7人が行方不明になった。

 日々の訓練は続き、皆が「敵に突撃して沈めてやろう」と気持ちが高ぶっていたが、そのころ米軍は沖縄に集中していたこともあり、敵艦が接近することはなかった。そして8月15日、玉音放送が流れ、日本の敗戦が決まった。その時を振り返り「自害したり悔しがったりする者はなく、皆、戦争が終わったことを喜んでいたように感じます。やはり死ぬことに多少の抵抗があったのでしょう」と話す。

 その後、捕虜になったが、蒋介石総統代理の長官から「以徳報怨」の声明を聞き、皆で喜び合った。22年3月に米軍の揚陸艦に乗り、21日に広島に上陸、23日に由良に戻った。当時を振り返り「ボートに乗って突撃など、いまでは考えられないことだが、その時代は何も分からず、そういうものだと思っていた。いま思っても出撃がなくてよかったです」と話し、いまの平和を身にしみて感じている。

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