悪が悪を呼び覚ましたか

 とんでもない事件が起きた。知的障害者施設に元職員の男が押し入り、刃物で入所者を次々と刺し、19人を殺害、26人に重軽傷を負わせた。男は「重複障害者が多く在籍している施設を標的に作戦を実行する」という犯行予告の手紙を書き、衆院議長に手渡そうとしていた。
 芥川龍之介の「羅生門」に、主人に解雇された下人が登場する。生活の糧を失い羅生門の下で途方に暮れながら、いっそ盗賊になろうかと考えるが、そこまでの勇気はない。ふと、楼の上に人の気配を感じて登ってみると、そこには無縁の遺体がいくつも捨てられ、松明を手に、若い女の遺体から髪の毛を抜いている老婆がいた。
 怒った下人は刀を抜いて「何をしているか」と老婆に詰め寄り、老婆は「抜いた髪でかつらを作って売ろうと思った」という。この(遺体の)女も生前はヘビの干物を干魚だと偽って売り歩いていた。それは生きるために仕方なく行った悪だから、自分が髪を抜いてもこの女は許すはずだと釈明する。
 この話を聞いた下人は怒りが消え、さっきまでなかった悪人になる勇気が芽生える。老婆の着物をはぎ取り、「俺もそうしなければ餓死する体なのだ」といい、闇の中へ消えていった――。今回の事件の容疑者も仕事をクビになり、孤独の中で社会を敵視し、弱い人を標的に暴発した。100年前のこの小説の主人公と重なりはしないか。
 根は正直だが、人とのコミュニケーションに難があり、自分は正しいという思い込みが激しく、孤独な毎日を過ごすなかで、破滅的な人格が形成され、通り魔や大量殺人犯へと変身する。今回の男も鬱々としながら身勝手なテロのニュースに触れ、下人のようにかろうじて抑えられていた悪が一気に表層に噴出したのかもしれない。 (静)

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