戦前戦中にカナダで活躍し、移民社会と野球文化への功績を認められ、カナダの野球殿堂入りした伝説の日系人野球チーム「バンクーバー朝日」に、美浜町三尾出身の日系2世野田為雄さんがいたことが分かった。平成17年にはBC州のスポーツ殿堂入りも果たし、その記念メダルは長らく受け取る肉親が見つからなかったが、東京在住の男性がトロントに住む野田さんの親類を探し出し、今月13日、メダルが手渡された。
バンクーバー朝日は1914年、日本人街の日系2世を中心に結成され、バントや盗塁を多用する「スモールベースボール」で白人チームばかりのターミナルリーグで優勝。敵のすさまじいラフプレーにも黙ってフェアプレーを貫く選手の姿は、さまざまな差別、排斥に苦しんでいた日系人社会の希望の星となったが、日米開戦に伴う日系人の強制収容によりチームは消滅した。
戦後58年目の平成15年、カナダ政府は朝日軍の功績をたたえ、同国の野球殿堂入りを決定。2年後にはBC州のスポーツ殿堂入りも果たし、新宮出身の嶋正一さんら元選手、チーム関係者に記念メダルが贈られた。しかし、元選手の多くはすでに亡くなっており、遺族とも連絡がつかないなど、20人以上のメダルが未渡しとなっていた。
嶋さんのおいで、東京都練馬区に住む嶋洋文さんは約1年前から未渡しメダリストの家族探しを続けていたところ、正一さんと同じ初期朝日軍のメンバーに、三尾出身の野田為雄さんがいたことが判明。野田さんは昭和12年の日中戦争開戦前に帰国、出征して中国大陸で戦死していたが、洋文さんの調査の結果、トロントに為雄さんの異母妹の野田洋子さんが住んでいることが分かり、今月13日、日系の代理人経由で為雄さんの殿堂メダルが洋子さんに手渡された。
バンクーバー地域リッチモンド市の港町スティーブストンには、為雄さんと同じ三尾出身日系2世の村尾敏夫さん(96)が暮らしている。カナダ生まれの村尾さんは3歳で日本へ戻り、19歳まで三尾で生活していたが、そのとき、日本へ戻っていた為雄さんと交流があった。
村尾さんは27日、本紙の電話取材に応え、「1人息子だった為雄さんは私より4歳上で、生きていればちょうど100歳ぐらいです。すらっと背が高く、笑顔が素敵な誰からも好かれる人でした。21歳か22歳ぐらいで日中戦争に出征し、有名な鯉登(こいと)部隊(歩兵第77連隊)に所属して戦死されたと聞いています。私は為雄さんのプレーする姿を見ることはできませんでしたが、今回、メダルが親戚の方に手渡され、本当にうれしく思います」と話した。