大切なもののために…

 74年前の12月8日は、日本が真珠湾を攻撃した日。太平洋戦争では日本の軍人230万人、一般人80万人が亡くなった。終戦からことしで丸70年、テレビや新聞では大きく報道された
 美浜町出身の中西伸一さん(当時22歳)はこの大戦で特攻隊として沖縄の海に散華した。中西さんの弟の小松雅也さん(84)は平成21年から「引き裂かれた青春~特攻隊で散った兄~」をテーマに講演活動を展開している。これまでに54回をこなし、先日も南部ライオンズクラブの例会で講演が行われた
 当時、中西さんから特攻隊に入隊した報告を受けた両親らは「本当によかった。しっかり頑張れ」と激励し、「敵艦に見事体当たりした」という知らせを受けた時も「手柄を立ててくれた」と喜んだという。しかし、30年以上経った昭和52年の三十三回忌で、母親は「伸一」と叫びながら泣き崩れた。「いままでは天皇陛下に捧げた子だった。三十三回忌が過ぎてやっと自分の子になった」とつぶやいたという。ようやく戦争からの呪縛が解けた瞬間だったかもしれない
 戦争で亡くなった人たちは「大切な祖国のために」にと一命を捧げた。戦地から届けられた手紙は自分が死ぬ覚悟で戦っているにも関わらず、家族らの健康を思いやる内容ばかりだ
 以前、橋下徹大阪市長がテレビ番組で特攻について触れ、「負けると分かっていた。しかし、白旗を上げて何も抵抗することもなく連合国にやられるのではなく、後世の日本人が恥をかかないように命を投げ出した」という趣旨のことを話していたことがある。もちろん、特攻も戦争も2度とあってはならない。しかし、捨て身で大切なものを守るという自己犠牲の心は、戦後の70年で大きく欠けてしまったのではないだろうか。 

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