戦後70年に届いた資料

 幼いころ墓参りに行くと、墓石上部が三角形になった墓にもお参りした。母らから「最期に水が飲みたいといって亡くなったので、お水をたくさんかけて」といわれ、ひしゃくで多めに水をすくい、手を合わせた。その墓は戦争で亡くなった、母方の祖父の弟(大叔父)のものだった。
 今春県から大叔父に関する新たな資料が見つかったと連絡があった。10月8日付で「ソ連邦抑留中死亡者資料」の調査結果が届き、中身を確認すると、これまで聞かされていたことと違って驚いた。
 23歳で亡くなった大叔父を直接知るのは母しかいない。母によると、4歳のとき、日の丸の旗を持って出征を見送ったという。「安否を気遣い、帰り来る日を父母、親族たちはどんなに待ちわびたことか」。当時のやり場のない思いは記憶に深く残っているようだ。昭和25年10月24日に死亡広報が届き、ソ連の病院で21年4月上旬に亡くなったと知らされた。「水が飲みたい」という話は戦友に後日教えてもらったらしい。
 調査で判明したことは実際に大叔父が亡くなったのは4月ではなく同年元日、埋葬地は北朝鮮の北の沿海地方。ことしの70回忌も含めて法事は3月に行ってきたが、もう少し早くしなければならなかった。42歳の筆者。大人になるまで、水の話で誤解したのか、正確な情報が親戚の間にも少なかったためか「南方の戦場で戦死された」と思っていた大叔父。事実を知らなさ過ぎた、また知ろうとしなかった自分が恥ずかしい。
 ロシア語の資料を手にすると、悲惨な戦争が身近に迫ってくるような気持ち。戦後70年が過ぎたが、後世に伝えていくためにも歴史を学び、平和への誓いを新たにしなければと大叔父の遺影を前に思う。   (賀)

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