被災地の無念と決意伝える
- 2015/7/12
- 日高春秋
6月27日付から7月10付まで4回、杉村邦雄さん(78)=日高町小中=の手記を掲載した。東日本大震災被災地との交流の記録だ
きっかけは発生直後、花巻市で開かれたゲートボール全国大会。主催者の「参加してもらうことが被災地への励まし」との言葉で参加を決めた。大会のあと陸前高田市の海岸に立ち、無残な光景に慄然とする。そして昨年の秋、再び現地を訪問。手記ではその5日間を詳細に記述。1万3150字、400字詰め原稿用紙に換算しておよそ33枚。原稿をパソコンに打ち込みながら、書かれている情景の重さが食い入ってくるようだった
付近で唯一の高い建物である、名取市の閖上(ゆりあげ)中学校。ここを目指して走った人々が、校門付近で津波にのみ込まれたという。校門の脇には「沢山の人達の命が今もここにあることを忘れないでほしい」「閖上中の大切な大切な仲間14人が安らかな眠りにつける様祈っています」の文字。児童の7割が犠牲となった石巻市の大川小学校では、倒壊した巨大なコンクリート製の渡り廊下の写真が波の力の凄まじさを物語る。「学校の裏には小さな小山もあった。ここへ逃げていれば・・・。校庭へ集まった子どもたちと教師に大津波が襲いかかったのであろう。(略)校歌の『未来を拓く』を読みながら、涙が溢れてきた」
実際に足を運び、肌で感じてきたからこその文章が、読む人に現地の無念を、現地の決意を伝えてくれる。4年が経とうとも「過去」にはならない。それには傷が深く大きすぎる。だからこそ、その傷を抱えて前へ進むため力を奮い起こさねばならない
当地方でも備えるべき、大地震の脅威。「辛い教訓を無駄にしてはならない」と杉村さんは訴える。「大きな犠牲が警鐘を乱打している」と。 (里)