親の責任を考えよう
- 2015/4/21
- 日高春秋
訴訟の国といわれるアメリカでは、夫を肺がんで亡くした女性がたばこ会社を相手取って起こした民事裁判で、会社に対して2兆円を超える支払いを認める評決をしたことが取り上げられたことがあった。交通死亡事故が起これば乗車していた車のメーカー、セクハラ訴訟でも億単位の支払いを覚悟しなければならない、そんなケースは自由の国アメリカではよくあること。日本人からみれば首をかしげてしまうことも、国が違えば当たり前。「日本の常識、世界の非常識」の一例といえるだろうか。いやしかし、日本に生まれてよかったと思う。
アメリカの訴訟とは少し違うが、先日、日本でも賠償請求を求めた民事訴訟の判決が出た。小学生が学校のグラウンドでサッカーをしていた時、蹴ったボールがフェンスを越えて道に飛び出し、バイクで通りがかった高齢男性が驚いて転倒、寝たきりとなりその後死亡した。ボールを蹴った少年の両親に賠償金を請求した、いわゆるサッカーボール訴訟で、最高裁は損害賠償を認めた二審を破棄した。両親の監督責任はなかったとの判断だ。被害者遺族の心情を察すれば胸は痛むが、小学生の子を持つ親御さんは胸をなで下ろしただろう。ニュース番組でみた現場となった学校のフェンスは低く、アメリカなら学校が訴えられていたかもしれない。
とはいえ、小学生が自転車で歩行者と衝突して重大なけがを負わせた事故では両親に高額な賠償金の支払いを命じる判決が少なくないのが現状。あくまで親の監督責任が原則と考え、わが子には交通ルールや社会のマナーを守るよう指導する必要がある。悲しむ人をなくすためにも、親の責任というものをあらためて考えたい。 (片)