責任感ある優秀な人材を
- 2014/12/7
- 日高春秋
たとえば子どもの小学校のPTAやスポーツクラブの総会。役員改選になって突然、空気が重くなることがある。会長、副会長、会計など、それぞれを誰にするか、あるいはお願いするか。「私がやります」と名乗り出る人はまずいない。全員が下を向き、誰も発言しないまま、ジリジリと時間が過ぎていく。
しびれを切らした議長が、「○○さん、引き受けてもらえないでしょうか」と指名すると、たいていは「とてもとても、私なんてそんな器じゃないです」と固辞。子育てや仕事に追われ、役員の仕事をこなす余裕もないだろうし、会長の責任の重さを考えると、やりたくない気持ちはよく分かる。
年が明ければ御坊市議、美浜町長・町議、日高町議、由良町議と選挙が続く。無報酬の任意団体の役員とはまるで違い、立候補者は勝つか負けるか、一族郎党、親戚の友達の知り合いの近所の人まで、あらゆるコネを総動員して票集めに奔走する。
市民のため、国民のために重い責任を負う為政者、政治家と呼ばれる人たちは、とてつもなく重圧に強い精神力の持ち主なのか、ストレスを感じない性格なのか。まさか、恐ろしく無責任なだけというわけではあるまいが…。
今年は号泣県議を筆頭に、地方議員のデタラメさがクローズアップされた。「議員なんかロクなやつおらん」という嘆きは、そんな人を選んだ自分たちへの嘆きであることを思い返さねばならない。
責任感ある優秀な政治家が国や地域を立て直す。そのためには多様なルートの人材が求められる。選挙は血縁、仕事、友人…さまざまなしがらみもあろうが、誰に投票するかは「あの人に頼まれたから」ではなく、自身の目で見極め、主体性を持って判断を。まずは衆院選。 (静)