記憶は薄れても敵は間違えない

 戦争体験者に話を聞く連載を終えた。70年以上も前の記憶をたどる取材は想像以上に難しい。基本的には話をしてくれる人の記憶が頼りで、取材後に記事を書きながらどうしてもつじつまが合わず、再度、本人に確認をとるということもしばしば。
 昭和20年7月。由良町糸谷の湾には2隻の海防艦が停泊していた。「ある日、米軍機が数機、偵察に飛んできた。その際、遠ざかる敵機に向けて海防艦が高角砲を放ったが、砲弾は命中せず、最後尾の機の後ろで爆発した。これがやぶへび、敵に海防艦の存在を教えてしまう結果となり、後日、艦載機による攻撃を受け、海防艦は最終的に沈没した」という話。
 この偵察飛行の際の海防艦が放った一発は、町史にもネット上にも情報がない。取材に対応いただいた方は自身の体験、または軍関係者からの直接の伝聞であり、信頼度は何よりも勝る。しかし、70年近い時間が過ぎたいま、飛んできたのが爆撃機だったのか、艦載機だったのかという点で話が合わない。今年は7月10日の戦闘で負傷された元第30号海防艦乗組員の大野さんの記憶をもとに記事を書いた。
 取材で答えてくれた方は当然、自身の記憶を信じて話された。二度とこのような悲劇が起こらぬようにとの願いも全員が同じ。時間とともに風化する不可視、不可触の情報ながら、家族と国を守るために米国と戦った事実は揺るがない。戦闘の日時や敵機の種類が違っても、日本がどの国と戦い、だれを守ろうとしていたのかを間違えることはあり得ない。
 いわゆる従軍慰安婦の強制連行、福島原発事故の吉田調書をめぐる一部報道。ここまで意味が逆転してしまうと、「事実をねじ曲げている」と批判を受けても当然ではないか。  (静)

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  1. ありがとうございま~す!

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