御坊で女子バレーの眞鍋監督が講演

 平成25年度第5回市民教養講座が14日に御坊市民文化会館大ホールで開かれ、女子バレーボール日本代表チームの眞鍋政義監督が「私のバレーボール人生~チャレンジ精神~」と題して語った。世界規模の大会で長らくメダルから遠ざかっていた日本代表を表彰台に導いた眞鍋監督。昨年のロンドン五輪では28年ぶりに銅メダルを獲得した。講演ではコーチング哲学や五輪でのエピソードを語り、観客は熱心に聞き入っていた。
 まず、自身のコーチング哲学を「自分はカリスマ監督ではないので、①選手とのコミュニケーション②(やる気を出させる)モチベーターであること③やれることはすべてやる――の3点を心がけた」と紹介。日本のお家芸レシーブを徹底的に磨くため、男性コーチの思いっきりのスパイクを受ける練習を毎日行った。時速100㌔にもなる打球を受け続けるうち目がスピードに慣れ、体の大きい海外選手にも対応できる。しかし、昨年のロンドン五輪直前、その練習の時にセッターの竹下佳江選手が左手の人差し指を骨折。「レントゲンを見た時には『終わった』と思いました。トスを上げるセッターにとって親指と人差し指は命、骨折なんてあり得ない。でも本人は『痛くない。大丈夫、出る』ときかない。結局、本人、ぼく、医師、トレーナーの4人の胸に収め、他の誰にも一言もそれを明かさないままで試合に臨んだ。そして銅メダルを賭けた最後の韓国戦、3-0で勝利。これはもう根性じゃない、執念ですね」と竹下選手の苦闘をたたえた。
 また、「五輪13人目のメンバー」石田瑞穂選手のエピソードも紹介。一番大きな声を出し、雑用も率先してこなす。選手の信頼は誰よりも厚いが、五輪で出られるのは12人まで。サポートメンバーとして皆と渡英したが、開会式の日に「母が危篤」と連絡があり帰国。試合ではベンチに13番のユニホームが置かれ、皆はそれに触れてコートに出た。そして最後の韓国戦、親友の迫田さおり選手が自分のユニホームの下に彼女のユニホームを着て出場。「迫田は立ち上がりに弱いので本当に迷いましたが、賭ける気持ちで先発に選び、結果的に大活躍。目に見えない力というものはやはりあるんです。親友が日本に帰って頑張っている、それを思う時に発揮できる力がある」と訴えた。
 最後には観客の希望に応え、バレーボールを頑張る子どもたちに向けて「バレーは球技で唯一、ボールを持ったら反則。考える前に打たなければならない。心を込めるしかない。心の入ったパスと普通のパスはまったく違う。強いチームを決めるのは、最後には心です」とメッセージを送った。

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