心も少しは癒やされましたか
- 2013/3/14
- 日高春秋
「おっかぁ、あのねって、もう一度だけ呼んでほしいよ」(6歳だった娘へ、33歳の母)▽「父ちゃん、また漁師やるからよ。頑張るから、天国から見守っててくれな」(14歳だった娘へ、50歳の父)▽「兄貴が見つかった4カ月後、母さんもそっちに行ったよ。写真を並べてあるから寂しくないだろ?」(31歳だった兄へ、30歳の弟)▽「日本一の女房だった。生まれ変わってもまた結婚してくれないか」(53歳だった妻へ、62歳の夫)
東日本大震災から丸2年を迎えた11日の読売新聞。「戻らぬあなたへ」というタイトルの見開き特集で、犠牲になった人たちの写真とともに、家族のいまの思いが綴られていた。ここに紹介したのは一部の人たちの言葉の一部だけだが、どの人も家族への愛情と感謝があふれ、遺影に語りかけるような言葉の一つひとつに、止まらない涙を子どもたちの手前、花粉症のせいにしてごまかしたのも、おそらく筆者だけではないはず。
被災地はがれきがすっかり整理されたものの、復興と呼べる状態にはまだまだ遠い。仕事を再開しても収入は少なく、畑に種をまいても生活は苦しいまま。津波に家族を奪われた人たちも、この2年という時間の経過によって、薄皮をはぐように少しは心が癒されたのか。「見守っていて」「頑張るからな」。戻らぬあなたへの言葉にも、悲しみや後悔を吹っ切ったような生きる力が感じられる。
福島県では、いまも放射能のためにふるさとに戻れない人たちがいる。以前、南相馬市から美浜町へ避難していた際、取材させていただいた西山種大さん(83)は元気にしておられるだろうか。夏の相馬野馬追に合わせ、まちの取材を兼ねて訪ねてみようと思う。(静)