災害の教訓洗い直せ

 「印南町は18㍍の津波に襲われる」10日ほど前の全国紙に掲載された記事には驚いた。東海・東南海・南海の3連動地震に加え、東日本大震災と同じメカニズムであるプレートより浅い部分も同時にずれる場合を想定し、コンピューターで津波の高さをはじき出したという。18㍍となれば、個人的にここまで避難すれば大丈夫だろうと思っていた近くの高台も微妙で、絶対安心とはいえなくなる。町内の主な場所でいえば、切目小学校やいなみこども園は大丈夫だが、沿岸部の多くは大打撃を受ける。避難場所見直しや素早い避難が必要であることを示す数字である。現実に起こる可能性が十分あることを認識したい。
 気象庁が津波警報を発令する場合、これまで高さを3㍍や10㍍といった数字で示していたが、マグニチュード8を超える巨大地震が発生したとき、第1報では「巨大」や「高い」という表現をする方針を固めた。東日本大震災では当初、3㍍や6㍍と発表したことが住民に「それぐらいなら大丈夫だろう」という油断を生ませたと指摘されたことを受けての改善策。賛否両論あるようだが、数字や表現にとらわれず、大きな揺れが起こったら避難という行動を起こす、それが大震災から学んだことだ。
 表現よりも、避難の呼び掛け方の方が重要であることも、大震災の教訓の一つ。「避難してください」より「避難せよ」の方が人を動かせる。台風12号による日高川水害では、玉置俊久町長が町内放送で「逃げてください」と絶叫したことで避難した人も多かった。いい例はたくさんある。もう一度災害の教訓を一つずつ洗い直し、きめ細やかな防災対策を再構築することが、日高地方の沿岸市町に求められている。 (片)

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