最終回 大津波から逃げきって

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気仙沼の港で津波に押し流される大型漁船 (慎太郎さんが携帯電話で撮影)
 「御坊で経験した阪神大震災の感やない。10分ぐらい揺れてたよ」。3月11日の地震発生の瞬間、御坊市の漁師朝日慎太郎さん(62)は妻のひろみさん、長男の耕一さん(いずれも仮名)とともに震源近くの宮城県気仙沼港にいた。耕一さんがこの春、岩手県大船渡市にある大学を卒業し、慎太郎さんは引っ越しを手伝うため、ひろみさんとフルムーンの観光も兼ねて電車で東北へ来たその日の出来事。午後1時すぎ、岩手県一関市の駅まで耕一さんに車で迎えに来てもらい、少し遅い昼食をとるため、隣接する宮城県最北の気仙沼市へ移動した。「やっぱり気仙沼の寿司はネタがちゃうな」。耕一さんのいう通り、回転寿司とは思えない味に慎太郎さんは大満足で店を出た。日本一のふかひれの産地、カツオとマグロは全国屈指の水揚げ量を誇る水産業のまち。慎太郎さんは仕事柄、気仙沼の港が見たくなり、3人でのんびり漁港を散策、鮮魚の直売施設を見ながら、出口に近づいたその瞬間、初めて体験する強烈な横揺れに襲われた。
 「こっちへ来い!」。慎太郎さんは施設を飛び出し、ひろみさんと耕一さんに駐車場の真ん中へ来るよう叫んだ。10分ほど続いたか、ようやく揺れが収まり、車に乗り込むと同時に大津波警報のサイレンが鳴った。「すぐに高台へ避難してください」。そういわれても、初めて訪れた土地で右も左も分からない。安全な方向と思われる道は渋滞が続く。「あかん、走ろら」。3人は車を降り、走って逃げることにし、地元の人についていくが、不思議と地元の人は落ち着いている。予想される津波の高さは6㍍。「こらやばい!」。再び車に乗り込むも、大渋滞でいっこうに進まない。「(津波が)どんだけの高さかも分からんし、どっちからどこまで迫ってんのかも分からん」。慎太郎さんは焦りながらも、怖さはまったく感じなかった。とにかく1㍍でも港から遠くへ。頭の中はそれしかなかった。
 いきなり道が開け、一気に前進すると、突然、目の前に津波がきた。「突っ込め」「バックや」「止めえ」。結局、車を乗り捨て、走って逃げた。近くの高台に神社があり、慎太郎さんと耕一さんは駆け上がったが、体力のないひろみさんは上がれない。津波はみるみる、ひざ下まで上がってきた。「頑張れ!」。2人で腕をつかんで引っ張り、間一髪、助け上げた。遠くに見える石油コンビナートは爆発、炎上。周りは火の海、車も流され、夜になって雪も降ってきた。近くの家の人に事情を話し、一晩泊めてもらった。電気、水道が寸断された部屋で毛布を貸してもらったが、寒さと怖さで朝まで一睡もできなかった。
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がれきが撤去され、操業を再開する漁船もみられる気仙沼港 (4月29日、1面の写真と同じ場所から)
 慎太郎さんら3人が津波にのまれそうになった気仙沼市は、973人が亡くなり、511人が行方不明、8383棟が全壊(6月10日現在)した。御坊に戻ってからも、テレビは連日、生々しい津波映像や被災地の惨状を伝えたが、中継が入るのは岩手の陸前高田市や宮城の南三陸町など、死者数の多いところやまち全体が津波にのみこまれたところが多く、自分たちが行くはずだった耕一さんが住んでいた岩手県大船渡市の小さな集落はほとんど報道されない。慎太郎さんとひろみさんは自分たちを助けてくれた人にお礼をいうため、今度は高速と日本海フェリーを乗り継いで再び東北を目指した。気仙沼に入ったのは4月29日。別に忌明けのつもりでもなかったが、震災からかぞえて四十九日目だった。
 地震の夜、寒さと恐怖に震えていた自分たちを泊めてくれた家の人には、その後、電話で礼をいい、慎太郎さんの手記が掲載された日高新報を送っていた。家の人は慎太郎さんとひろみさんとの無事再会に、「和歌山までどうやって帰られたのか、しばらく心配していましたが、新聞の手記を読んで安心しました」と笑顔。2人は「本当にお世話になりました」と頭を下げ、今度は耕一さんが住んでいた大船渡市三陸町のまちを見に行った。耕一さんが3年間世話になったアパートの大家さんにも会い、互いに無事を喜び合った。再び訪れた被災地はがれきの撤去が進んでいたが、どこも口では言い表せない、想像以上の状態だった。「こんなにもやられてたんか」「港からこんな遠くまで(津波が)きてたんか」。あらためて、自分たちが助かったことが奇跡に思えた。
 一生忘れることができない日となったあの日から3カ月が過ぎた。御坊では「津波で死にかけた人」として、地元の保育園の保護者会や団体の防災講座に招かれ、体験談を話す機会もあった。被害の大きさをみても、今回の地震の揺れと津波の大きさは「想定外」だったのはいうまでもない。しかし、南海地震の津波について「御坊ら気遣いなかろ(心配ないだろう)」と笑う人がいる。慎太郎さんには考えられない話だが、実際、気仙沼での体験と被災地を見る機会がなかったら、自分も同じような感覚かもしれない。大切なのは常に危機意識を持つこと。ふだんから出先で、「いまここで大地震がきたなら、どの道を通ってどこへ逃げるのが安全か」と、頭の中のシミュレーションを勧める。
 慎太郎さんはきっぱりいう。「家には90の年寄りもおって、むごい話やけど、外で大地震がきて、自分の場所が遠かったらほって(見捨てて)逃げる。小さい子どもなら助けに行くけど、90の年寄りを助けに行ってる間に自分も死んでまうさかな。地震がきたらとにかく家族も家も車も捨てて、みんなてんで(それぞれ勝手)に逃げよ。家内にも子どもにも、もちろん親にもそういうたある」。自らの津波の体験と被災地の行動を教訓に、生き延びるには非情なまでの冷静さと行動が必要だと強調する。             (おわり)
 
 この連載は玉井圭が担当しました。

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