くらしと健康 シリーズ「認知症」④小川さんの場合②

1204.jpg 市内湯川町富安に住む主婦小川まゆみさん (53)は、9年前の平成12年9月ごろ、近くに住む夫の母の妙枝(ただえ)さんの認知症に気づいた。常に頼りにしていた義姉も同時に病に倒れ、約5カ月後に死去。アルツハイマー型認知症と診断を受けた妙枝さんは自宅で夫の茂實(しげみ)さんの介護を受け、二男夫婦のまゆみさんらが2人を見守りながら、数年間は介護保険なしの在宅生活が保たれていたが、今度は妻に先立たれた長男が亡くなり、妙枝さんの認知症は一気に加速をはじめた。
 平成16年4月、妙枝さんは長男の死後、認知症の症状がひどくなり、家の中でも落ち着きをなくし、外へ出たがるようになった。「徘徊(はいかい)」と呼ばれる認知症の特徴的な問題行動。紙袋に自分の肌着、タオル、はきものなどを入れ、着の身着のまま出かけては帰ってこなくなり、茂實さんとまゆみさんらが何回も何回も捜し回った。当時、妙枝さんは74歳、茂實さんは83歳。二男の瓦職人の文寿さん、その夫を手伝いながら家で着物の仕立ての仕事をしているまゆみさんは、年老いた両親からますます目をはなせなくなり、亡くなった義兄夫婦の子どもの生活も心配しながら、市の担当者に相談した。しかし、茂實さんは「ワシがおば(妙枝さん)をみる」とかたくなに介護保険サービスの利用を拒否した。
 このころ、茂實さんは 「家(旧美山村の串本)へ帰りたい」とせがむ妙枝さんを落ち着かせるため、軽トラの助手席に乗せ、千津川から蛇尾を通って中津、美山方面へドライブした。長男が亡くなって3日後、茂實さんは妙枝さんと2人でドライブに出かけ、道路わきに突っ込む単独事故を起こしてしまい、妙枝さんが鎖骨を折る大けがをした。原因は居眠り運転。毎日の介護、葬儀に疲れ果てていた。昔から何をするにも、どこへ行くにも妙枝さんと一緒だった茂實さんは、妻への愛情、大正生まれの一家の長としてのプライドで気力を保っていた。そんなある日、 またも妙枝さんの姿が見えなくなった。道で見かけた人がどこから来たのかと聞くと 「串本」 というので、 「まさか、あの潮岬の…」 とびっくりして警察に連絡。 保護されたのは千津川の農免道路、まゆみさんは 「あんなに遠くまで歩いていたのは驚きましたけど、 おじいちゃんとドライブしてたときの道がどこか記憶に残ってたんでしょうね」 と、いまも思い出しては胸が締めつけられるという。
 やがて妙枝さんは茂實さんのことも忘れてしまった。長年連れ添ってきた夫を「よそのおいやん」と呼ぶようになり、一緒に寝ていても、夜中に目を覚ましては「知らん人が寝てる」と怖がり、階段から布団を投げ下ろし、朝まで廊下で寝ることもあった。徘徊はさらに激しくなり、茂實さんは窓の鍵は通常のフックだけでなく、レールの部分のツメも押し込み二重にロック(妙枝さんの場合、フックの鍵はかかっていてもあけ方はわかった)し、ドアにも鍵、玄関の門扉も自転車の鍵で開かないようにした。これに対し、妙枝さんは外へ出ようと激しく抵抗した。ドアをたたき、叫び、暴れた。また、家の中ではところかまわず排泄するようになり、玄関も居間も悪臭がたちこめ、食事を届けに来たまゆみさんがそうじをしようとすると、茂實さんはそれを阻止した。「親の面倒は長男がみるもの」という昔の田舎の意識は根強く、その頼るべき長男夫婦が亡くなったあとも、茂實さんと二男文寿さん夫婦の間に越え難い心の障害となって、それぞれがストレスを感じ、苦しんでいた。家族だけの介護は限界に近づいていた。
 平成16年7月、茂實さんは文寿さん夫婦や市の職員との話し合いにより、ようやく介護保険の通所サービスを利用することに納得した。妙枝さんもはじめは「帰る帰る」といって、デイサービスの車に乗るのを嫌がったものの、少しずつ落ち着いてきたように見えた。しかし、受け入れる側は大変だった。妙枝さんは職員の腕に噛みついたり、ショートステイでも他の利用者の車いすを後ろからついたり、ポスターをはがして回ったりトラブル続き。いくつかの介護施設に受け入れを拒否され、なんとか入院を認めてくれた病院でも、初日に看護師の目を盗んで他の患者の病室をうろついたり、 自分の点滴を抜いてしまったりで、夕方には「無理です」と退院させられた。
 家だけでは無理、病院もダメ、デイサービスもショートステイも受け入れてくれない。それでも茂實さんは妙枝さんが戻ってきたのがうれしく、手をつないで家に入り、弱った体で面倒をみた。が、夫の顔も忘れてしまった妙枝さんはいうことをきかない。食事をするときも、服を着替えるときも、84歳の茂實さんにはままならず、「ワシの方が年上やのに」「ワシが (面倒を)みてもらうはずやったのに」と悔しさと情けなさに声を震わせ、妙枝さんを殴ってしまったこともあった。妙枝さんは顔に青あざができ、文寿さんとまゆみさんは「このままではみんな共倒れになる」と考え、福祉の専門家と相談のうえ、すがる思いで妙枝さんを日高病院精神神経科に3カ月入院させた。「家族として、『精神科』というところにひっかかりはありました。でも、私たちにはその選択しかなかったんです」。病院にはなんの不満もなく、安心して入院させることができたが、周囲からは「よりにもよって、なぜまたそんなところへ…」ととがめる声も聞こえた。

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