歪んだ恨みの晴らし方
- 2019/2/8
- 日高春秋
11年前、子どものころに飼っていた犬を野良犬として連れ去られ、殺処分されたことの仇討ちだとして、46歳の男が元厚生事務次官ら2人を刺殺、1人に重傷を負わせる事件があった。記憶からすっかり抜け落ちていたが、最近読んだ本で思い出した。
男の愛犬が連れ去られたのは1974年。その本によると、当時は狂犬病の発生、蔓延を予防するため、全国的に「犬捕り」と呼ばれるおじさんが地域を巡回しており、男は12歳だった。犬を散歩中の妹が綱を放した瞬間に捕まり、連れていかれたという。
男は父親と一緒に犬を連れ戻しに保健所へ行ったが、すでに犬は別の施設へ移され、殺処分された。以来、男は復讐の炎を燃やし続け、34年後に犬捕りの元締めの厚生官僚トップ(実際は違う)への仇討ちを実行した。
最近も、子どものころに教師から受けた体罰の恨みを、何十年もたって暴力で晴らす事件が中国であった。中学校を出て20年後、道で見つけた教師を呼び止め、「俺のことを覚えているか!」と顔を殴り、通行人がその一部始終を撮影、動画を拡散したことで検挙された。
多くの人は、子どものころに理不尽な痛みを受けたとしても、何十年もたてば忘れてしまう。しかし、この2人はその怒りを忘れることなく持ち続け、とくに官僚を刺殺した男は犯行の脈絡のなさが常軌を逸しており、理解できない。
明石の市長の暴言騒動も、元をただせば職員の怠慢に対する正当な怒りであり、そのエネルギーが強すぎる暴言は許されないとはいえ、1年半以上も前にこっそり録音された音声がなぜ選挙前のいまになって出てきたのか。
これも一種の復讐とも思えるが、怒りの矛先、やり口が歪んでいてすっきりしない。(静)