御坊の往生寺 会津藩士の書額所蔵

 山川浩と御坊中野家の150年前の交流をきっかけに会津と御坊の歴史が再び脚光を浴びる中、御坊市湯川町財部、浄土宗宝永山往生寺(森川正教住職)で、会津藩士で画人の丸山抱石(ほうこく)の書額が見つかった。御坊日高には会津ゆかりの品が残っているが、書は非常に珍しい。「清逸(せいいつ)」と書かれており、山川と同じく、鳥羽伏見の戦いの敗走中に御坊で助けられたことに感謝を示す貴重な資料といえそうだ。
 抱石(1817~1898年)は画号で、本名は鎮之丞。丸山忠之丞胤永の長男。幼少のころから書画や詩を好んだという。家禄500石を継ぎ、学校奉行となり、藩主が京都守護職在任中は京都常詰番頭を務めた。戊辰戦争の緒戦となった鳥羽伏見の戦いで敗走、山川らと御坊に落ち延びたとみられている。
 往生寺では代々、会津藩士から贈られた書額があることを言い伝えられてきており、約40年前に現在の庫裏に建て替える前までは飾っていたという。第24代の森川住職は書額を見た記憶はなく、会津と御坊の交流が再び話題となる中、御坊市教育委員会から「往生寺に書額が残っていると日高郡誌に掲載されているが、ありますか」との問い合わせがきっかけで探したところ、倉庫に保管されているのを見つけた。
 清らかで優れているという意味の「清逸」と書かれ、往生寺で世話になったことをうかがわせる内容。「戊辰上春 為 宝永山道人」の文字から、戊辰(明治元年)の鳥羽伏見の戦いの敗走途中に往生寺住職にあてた書であること、「抱石廷者」の署名から会津に使える抱石が書いたものであることを明確に示している。泊まった時に書いたものか、のちに贈られたものかは分からないが、傷ついた多くの会津藩士を助けた御坊日高の人々の気質を示す資料ともいえそうだ。
 連絡を受けて確認した御坊市文化財保護審議委員の塩路正さんは「1800人余りの会津藩士が御坊日高で手厚く受け入れられ、お礼に贈られた鎧かぶとや会津ゆかりの皿などの品はありますが、書は非常に珍しい。達筆で保存状態もよく、貴重な資料」と太鼓判。「一般家庭にも眠っている品があるかもしれませんので会津ゆかりの品があれば連絡してほしい」と呼びかけている。森川住職は「戊辰150年の節目の年に、再び日の目を見ることができてよかった。大切に保管し、機会があれば皆さんに見てもらえるようにしたい」と話している。

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