復旧へ日高が一つになれ

 正直、ここまで被害が出るとは思っていなかった。気まぐれな自然災害の前には、人はあまりに無力だ。ノロノロ台風12号がもたらした日高川のはんらんは、自然が持つ圧倒的な破壊力をまざまざと見せつけた。日高川筋をさかのぼって取材に入ったが、とくに旧美山村、旧中津村の被害は想像をはるかに超えていた。建っていたはずの建物は流出して姿がなく、普段当たり前に通っていた主要な生活道路は中央線までえぐられてなくなっていた。「川津波」という表現が適切かどうか分からないが、水が引いたあと残された泥とがれきを見ていると、テレビで見た東日本大震災の被災地とだぶるところがあった。何よりこの水害で3人の尊い命が亡くなられたことに対し、めい福を祈るとともに、依然行方が分からない1人の無事を祈るしかない。
 日高川筋の現状をみると、復旧には莫大な費用とかなりの時間を要することは、素人目に見ても分かる。被災された皆さんがこれまで通りの生活を取り戻すための復旧を何より優先しなければならないだろう。これは日高川町だけの問題にしてはダメだ。県をはじめ、とくに同じ日高地方の各市町が支援しなければならない。いまこそ日高は一つの根性を発揮するときではないか。近い将来の発生が懸念される南海地震をはじめ、自然災害へ各市町の相互の応援、支援体制を確立するときでもある。
 中津地区で取材をしていると、日高高校中津分校の生徒たちが、早速、泥かきやがれきの撤去を手伝っていた。自然の力の前では人はちっぽけだが、人の温かみは強大な力になる。いざというとき力になるのは、やはり人のつながりだということも痛感した。 (片)

関連記事

フォトニュース

  1. 道成寺のしだれ桜も見頃に

Twitter

戦争連載2018

  1. 忘れえぬ秩父宮殿下の御訪満 元満州国日本大使館書記官の林出賢次郎氏が満州国執政…
  2. 大陸進出から満州国建国へ  大正から昭和初期にかけての1920年代、日本国内は相次ぐ恐…
  3. 栄えた満州での生活  1931年(昭和6)、柳条湖事件に端を発して満州事変が勃発し、関東軍は満…
  4. カズミちゃんの家に爆弾が直撃 日高町比井の小瀬静代さん(83)は1935年(昭和10)1月3日…
  5. 横須賀の海軍工作学校で訓練 20歳で軍務に服する義務だった徴兵制に対し、本人の意思で入隊する志願制…
ページ上部へ戻る