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あの日から6万1320時間

2018年3月14日

 震度7の凄まじい揺れ、想像を絶する巨大な津波に襲われ、2万2000人を超える死者・行方不明者が出た東日本大震災から7年が経過した。関西の大阪市内で震度3、和歌山県は和歌山市や美浜町で震度2を観測した。


 その日は日赤和歌山医療センター本館の竣工式が行われ、式典と記者向け内覧会があった。西日本最大規模の22の手術室、13階建ての屋上ヘリポートなどを取材したが、直後に地震が発生。一緒に回ったメディアのほとんどは東北の惨状に紙面・時間を奪われた。


 震災後、全国からボランティアが被災地支援に駆けつけた。記者として、日本人として絶対に行かなければと思っていたところ、運よく地元の有志から声がかかり、トラックの運転を交代しながら岩手、宮城、福島の避難所に物資を届けた。


 津波に洗われた海辺のまちは何もなく、目の前に広がる「ありえない」光景に言葉を失った。家を流され、家族が犠牲になったかもしれない避難所の方に、記者として何をどんなふうに聞けばいいのか。身につまされる相手の境遇を「不幸」ととらえ、一方的に緊張していた気がする。


 先日、NHKのドキュメントで、被災地で震災にまつわる笑い話を聞いて回る企画があった。避難所から仮設に移った夜、薄い壁の隣から聞こえた男女の声、食料満載の巨大冷凍庫が停電し、しばらくはみんなでぜいたくな料理ばかり食べていたことなど、おっちゃん、おばちゃんがケラケラ笑って話していた。


 あの日から6万1320時間が流れ、東北で見た光景、聞いた話の記憶はどんどん薄れている。NHKもこんな番組を企画、被災者はその取材を受ける余裕ができた。人間の脳は自然と前を向くよう機能するようだ。 (静)


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