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平和は戦場の血の上に

2015年4月 9日

 「幾度か辛酸を経て、志、初めて堅し。丈夫は、玉砕に及んで、甎全(せんぜん)を愧じる」。これは西郷隆盛の遺訓の一節で、元は中国の歴史書に出てくる言葉。人の志は何度もつらい目にあって強くなり、真の男子たる者、志を貫くためには玉となって砕けることこそ本懐であり、志を曲げていたずらに生きながらえることは恥ずかしいことだ――という。


 西郷は明治10年、最大にして最後の内戦となった西南の役で49年の生涯を閉じた。足元がわらじだったという薩摩軍は、熊本城で政府軍の反撃にあい、鹿児島に敗走。追い詰められた西郷は城山の洞窟に立てこもったが、5日後の突撃で銃弾を浴び、自決した。


 大昔の狩猟社会、洞窟は人間にとって獣や敵から身を守る場所で、住居でもあった。第1次大戦以降の戦場では、砲弾や銃弾から身を守る塹壕が築かれ、太平洋の島々で激戦を繰り広げた昭和の日本軍はジャングルの洞窟に潜み、薩摩軍のように突撃で砕け散った。


 戦争末期、日本軍は無謀な玉砕を禁じ、持久戦へと戦術を転換。洞窟内に潜み、地下道を掘り、最後の1人まで抵抗を続け、敵の本土への接近を遅らせよという時間稼ぎの作戦であるが、武器や食糧、薬品の補給はない。まさに捨て石、玉砕よりも非情な作戦に、パラオ諸島のペリリュー島では1万人以上が戦死した。 


 戦って死ぬことが美しく、尊いとする西郷や東条英機の戦陣訓が実際にどれほど兵士の命を奪ったかは分からない。しかし、近代国家建設のための内戦、大国との戦いを経て今日の日本の平和がある。


 天皇皇后両陛下がパラオを訪問し、9日にはペリリュー島にも足を運ばれる。戦場にたおれた方々に対し、ともに感謝と哀悼の誠を捧げたい。 (静)


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