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純粋な思い 忘れてませんか

2010年3月19日

 「夢やあこがれに突き動かされて、映画の仕事を始めたけど、純粋な思いは遠くに置き忘れてしまった。 それでも仕事をしているのは、日々こなさないといけない課題をつきつけられているから。嫌いな仕事でないから、楽しいけど、それは、本物の映画監督なんだろうか、と」。先の日本アカデミー賞で優秀脚本賞を受賞した 『ディア・ドクター』の西川美和監督の言葉だ。
 
 日々の仕事に追われ、嫌いではないけど楽しくもない。 医師免許を取り、病院で勤務しながらいつか、医学部を出たころの純粋な気持ちをどこかへ置き忘れしまうのが本物の医師であるなら、鶴瓶が演じる映画のニセ医者も患者に向き合う忙しい現実は同じ。違うのは免許があるかないかだけ。むしろ、ニセモノゆえに人命を預かる医師の力への畏れが募り、患者のために尽くす純粋さがある分、本物以上に 「本物」といえるのではないか。
 
 大きな不安を抱え、わらにもすがる思いの患者と家族にとって、医師は神様以上に大きな力を持った存在であるのもまちがいない。患者の容体が厳しいほど、言質を与えることを恐れるのか、不確定な予測や不用意な励ましは絶対にいわない。このため、医師として余裕のない若手はますます患者に不安を募らせてしまうのだが、死に直面したことのある友人は「病室で毎日、先生の表情ひとつ、声の張りにまで、いまの自分の病状が表れていると思った」という。
 
 映画監督のあなたは本物? 作品を通じて自分に問いかけた西川監督。「ディア・プレスマン」の筆者も自問と反省を繰り返してはいるが、恥ずかしながら、いまだ本物がどういうものなのかさえわからずにいる。
       (静)

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