生き延びた命に感謝して。 梅雨明けも近づく18日、 日高地方を襲い死者・行方不明者289人を出した昭和28年の大水害から56年が経過した。 市内薗の橋本克彦さん (73) =千代崎自治会会長=は当時の出来事をいつまでも忘れることなく、 毎年供養としてたった一人天田橋から酒を注ぎ、 災害犠牲者への 「供養」 を続けている。
56年前、 橋本さんは中学を卒業して1年が経過し、 製材所に勤務していた。 18日当日朝の雨量はそれほどでもなかったが、 前日までの長雨で土地の低いところはすでに浸水していた。 橋本さんは製材所に向かう途中、 天田橋近くを通って日高川を見ると今にもあふれんばかり。 「こりゃ、 いかん」 ととっさに橋の上に避難した次の瞬間、 あっという間に御坊の町が水にのみ込まれた。 橋の上には橋本さんのようにかろうじて逃げてきた人もたくさんいたが、 下には渦を巻いた激しい流れが轟音を立てており、 必死に何かにつかまろうとしている人が叫び声を上げながら丸太や家などとともに流されていった。 その後雨は一時的に止むことはあったが容赦なく降り続け、 夜が明けるまで橋の上で過ごした。 夏とはいえ濡れているため凍えるように寒く、 真っ暗な闇の中、 家族の消息も分からず不安で押しつぶされそうになった。 たまらず濁流の中に身を投げようかとも考えたがそのとき、 叔父やいとこらが 「死ぬときは一緒や」 と肩を組み、 思いとどまらせてくれた。
翌朝になってようやくはんらんが収まり、 電話線を伝って天田橋から降りた。 水位は胸の高さまであり、 必死の思いで帰宅すると、 両親や兄弟ら家族は日高別院に避難していたため、 全員無事であることが分かった。 互いの再会を喜び合うと急激に空腹を感じて丸一日何も口にしていなかったことを思い出し、 残されていたぜんざいの缶詰を無我夢中で食べたという。 「そのときのぜんざいの味はよう忘れん。 甘くて甘くて、 おいしかった」 と遠い日を振り返った。
天田橋からの供養は、 「多くの人の命が流された中で、 自分は生き延びさせてもらった大切な命。 命を粗末にしたり、 水害のことを忘れたりしたら罰があたる」 として水害2年後から毎年行ってきた。 しかし、 5年前に脳梗塞で倒れ、 ここ数年はできていなかった。 ようやく自転車も乗れるようになり、 ことしは久しぶりの供養再開。 「ここに来るとみんなに会えると思い安心できる」 と橋を踏みしめるように歩き、 真ん中の地点に着いたところで酒の瓶を空けた。 「久しぶりに来させてもらったよ。 自分だけ生き残ってよかったのかと今でも思っている。 それでもみんなの分も頑張るから...」 と亡くなった命へ思いを届けた。
橋本さんは、 千代崎自治会の会長として地区の防災訓練にも力を入れている。 津波や火災などさまざまな事態を想定しており、 住民の意識も年々高まってきているという。 「災害は突然来るので、 訓練は絶対に必要。 災害を経験していない若い人に、 少しでも関心を持ってもらい、万一の時に備えてもらいたい」と語っている。