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みなべで戦争語り継ぐ会
2009年5月18日
写真:特攻隊員だった兄について語る小松さん
中西さんは昭和19年、 特攻隊に志願して入隊した。 その報告を受けた父親は 「本当によかった」 と喜び、 母親も 「しっかり頑張れ」 と励ましたという。 出撃前に家族に送られた手紙には 「よき死に場所を得たのを無上の光栄と存じます。 笑って往きます」 と書かれていた。 戦争の敗色が濃厚となった昭和20年5月25日に1回目の出撃があり、 中西さんは鹿児島県の知覧を飛び立ったが、 天候不良のため敵艦を発見できずに帰還。 3日後の28日に再び知覧を飛び立ち、 敵艦に体当たりして散華した。 それから1週間ほどのち、 特攻機を護衛していた飛行機の乗組員が美浜町の実家を訪れて 「敵艦に見事に体当たりした」 と伝え、 父や母は 「手柄を立ててくれた」 と喜びの言葉を述べたという。 終戦後30年以上がたった昭和52年、 中西さんの三十三回忌で母親は 「伸一」 と叫びながら初めて号泣した。 小松さんが 「いままで泣かなかったのに、 どうしていまになって泣いたのか」 と尋ねると、 「いままでは天皇陛下に捧げた子だった。 三十三回忌が過ぎて、 やっと自分の子になった」 と答えたという。 講演で小松さんは最後に 「戦争の悲劇は繰り返してはならない。 『上農は草を見ずして草をとる』 ということわざがある。 賢い農家は草が芽を出す前に取り除いてしまうという意味だが、 戦争の芽を地面に決して出してはいけない。 その前に摘み取ってしまうことが重要だ。 いまの平和は国のために命を捧げた英霊のおかげであるということを忘れないでほしい」 と訴えた。 |
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