龍王神社からしばらく続いた、
ミステリアス&サスペンスフルなアドベンチャーもひと区切り。
岩屋と洞穴のあとは、再び集落を抜けて三尾漁港へ。
ぽかぽか陽気に誘われて近所の人が子どもや孫を連れて散歩をするなか、
なにやら黒いモジャモジャしたものを広げている人がいました。
近づいていくとツーンとくるほど強い磯の香りが鼻腔を刺激し、
私と第一村人は「例のアレやな」とアイコンタクト。
その光景はまぎれもなく、三尾の特産、天然ひじきの天日干しで、
作業をしていた漁師さんに話を聞くと、
ひじきは一日干せば完全に乾いて真っ黒になるが、
よりおいしいひじきにするためには、完全に乾燥させず、
8分程度の乾きで風通しのよい日陰におき、ひじきの表面に塩をふかせ、
天日干しは数日かけて乾かすのがポイントだそうです。
そうして乾いたひじきは、漁協の加工所で真水で塩抜きし、
ひき粉を燃料にして沸かす釜でじっくり蒸し上げ、再度乾燥させて完成。
こだわりと手間ひまかけて作られる三尾のひじきは、全国から注文がくる人気商品です。
港から県道に出て西へしばらく行くと、右手に三尾駐在所が見えました。
おまわりさんにあいさつでもしようと寄ってみましたが、あいにく留守。
施設は見ての通り。
「古いな」
それ以上、なんの感想も言葉も出ないまま、駐在所の奥を通って集落内へ。
三尾漁協組合事務所の裏手に「西浜商店」というお店を見つけ、
中に入ると、80歳を過ぎたおばあさんが店番をしていました。
子ども向けの駄菓子やパン、カップラーメンの食料品のほか、
洗剤やシャンプーなど生活雑貨も取り扱っており、
56歳の第一村人が鼻たれ小僧のころから開いている老舗です。
以前はこの西浜商店以外にもいろんなお店や飲食店が軒を連ね、
店の前の通りにスクリーンを設置して映画の上映会を開いたほど、
にぎわった時代もあったそうです。
それがいまではもう西浜商店だけとなり、
おばあさんは「もう(店は)やめたいんやけど、『やめたら私らの行くとこ(店)なくなるさか、
頑張ってやってよ』っていわれるさかいにね」。
近所の人たちの声に支えられ、
商売抜きに地域コミュニティの1つとして続けているのが実情のようです。
過疎の夕日がさすアメリカ村の現実を引きずりながら、
第一村人とともに集落を離れ、煙樹ケ浜方面へ歩いていると、
県外からのIターンの人たちの別荘や住宅が多く建つ逢母(おいぼ)地区で、
玄関先に「Cafe 営業中」という看板がかかった別荘を発見。
「ここ、いつから喫茶店になったん?」
毎日、何度も前を通る第一村人も気がつかなかったらしく、
「とりあえず入ってみよか?」と中へ入りました。
映画『ゴッドファーザー』に出てくるハリウッドの映画プロデューサーの豪邸のようなカフェは、
「RiderHouse & Cafe Z's House」という名前です。
バイクで紀伊半島のツーリングを楽しむライダーや
ドライバーが気軽に立ち寄れる週末限定のゲストハウスとして、
この日のつい1週間ほど前にオープンしたばかり。
オーナーは大阪在住の男性。
カフェの営業は基本的に毎月最終日曜の午前10時から午後4時まで。
宿泊のゲストハウス(予約制)は基本的に週末土日の1泊のみ、
素泊まりなら大人3000円、子ども2000円で利用できます。
元はアメリカ村随一の豪華な別荘、
2階の客室は10畳と9畳の和室(どちらもオーシャンビュー)で、
大きな風呂にはサウナもあります。
また、1階の広いリビングは宿泊客やカフェの客がゆったりとしたソファでくつろげ、
1人でも、友達とでも、家族とでもリッチな気分で利用できます。
これから夏にかけては、広い庭でバーベキューを楽しむもよし。
予約、問い合わせは「Z's House」℡080‐3785‐3371(Mr.ゼット)まで。
京阪神から近すぎず遠すぎない「とかいなか」。
高齢化が進むかつての移民の村は、県外からの移民(Iターン)を受け入れるまちとして、
廃業する店があれば新たにオープンする店もあり、
静かに少しずつ、確実に変わりつつあるようです。
次に訪れたのは法善寺。
夫婦善哉や水掛不動で有名な大阪ミナミの法善寺横丁と同じ名前ですが、
こちらは石畳ではなく、境内は緑の芝生。
先代の住職さんは俳人としても有名で、その句碑がいくつも並び、
移民のまちのお寺として、
以前は檀家の移民先のカナダやアメリカからドルだてのお布施が多く届いたそうです。
また、ここはアメリカ村を訪れた人が必ず立ち寄る観光コースにもなっていて、
境内からは寄りそう民家の屋根や漁港、遠くにウミネコ島、
日の岬の山を望むロケーションが広がります。
薬師如来像に手を合わせ、次に案内してもらったのは、
豊玉彦神、猿田彦神が祭られている龍王神社。
鳥居をくぐって100メートルほど坂を歩いていくと、
本殿の前にはバカでかいアコウの木がドーン!
根の回りが10メートル、樹齢は300年から350年とみられ、
左右斜め方向に伸びる幹は一方がその頭の重さに耐えられず、
地面との間にコンクリートの支柱が挟まれています。
太い幹から無数のつるや根が伸びて巻き付き、
木そのものを覆い尽くして枯らしてしまうこともあり、
第一村人は「ボクが子どものころには支柱はなかった。
『絞め殺しの木』とかいう人もおるけど、なんとなく不気味で怖いわな」。
たしかに、小さい子どもは泣きだしそうな迫力。
また、神社の裏は海で、見下ろす断崖は火曜サスペンスか土曜ワイド劇場。
アメリカ村アドベンチャーはこのあたりから、
ちょっぴりミステリアスなムードが漂い始めました。
雨乞いの神様ともいわれる龍王神社、
サスペンスドラマならタイトルは、
「絞め殺しの木に宿る竜神の怨霊 美人OL アメリカ村ひじき連続殺人事件」。
なんじゃそら...。
続いて向かったのは、
今回のテクテク歩きの目玉ともいえる自然の洞窟「久米の石屋(くめのいわや)」。
神社の鳥居から東へ数分、第一村人も久しぶりで海岸へ下りるルートが分からず、
他の村人に尋ねながら雑木林を分け入って行きました。
木と木の間に渡されたロープづたいに、
一歩ずつゆっくり慎重に足元を確かめながら前進。
踏み外せば死ぬことはないが、けっこう痛いけがをしそう。
そこを抜けると、大きな石が無数に転がる海岸に出ました。
目の前の紀伊水道はどこか裏日本の日本海のようで(行ったことないけど)、
この岩場を飛び飛びしながら西へ少し戻ると、右手に大きな洞窟が口を開けていた。
これが三尾っ子と同じ美浜町民でさえあまり知る人はいないという「久米の石屋」。
万葉集に「はだ薄(すすき) 久米の若子(わくご)が いましける
三穂(みほ)の石室は 見れど飽かぬかも」と詠われ、
いまの言葉になおすと「痩せた久米の若子がいらした三穂(三尾)の石室は、
何度見ても飽きないところだなぁ」となり、
町教育委員会の説明文によると、久米の若子とは、
「紀伊風土記」の中で約1500年前の顕宗・仁賢両天皇の父ではないかと推測されているが、
はっきりとはわからないそうです。
洞窟の大きさは穴の高さが6メートル、奥行きが20メートルあり、
地元の人は「後磯(うしろそ)の穴」と呼んでいて、
第一村人のお兄さんが子どものころ、親に怒られて家を飛び出し、
この洞窟で一夜を明かしたことがあるとか。
昔はこのあたりでもよくアワビがとれ、
素潜りの海女さんが休憩で暖をとっていたそうです。
そういえば、近くの岩にあった「貝トルナ」のペンキの注意書き。
思わず、「こんな危ないとこまで誰が貝とりにくんねん!」と
長めのツッコミを入れてしまいましたが、
こっそり貝をとりにくるよからぬ連中もいるんでしょうね。
また、第一村人の話では、貝をとりにくるだけでなく、
万葉集に詠まれた全国の「万葉の地」を巡る人たちも来ます。
いまから10年ぐらい前、
足を骨折した車椅子のおばあさんが「どうしても久米の岩屋を見たい」と三尾を訪れたそうです。
車を運転してきたおじいさんも海岸へ下りる現場を見て、
さすがに「危ないからやめた方がいい」と説得しましたが、
おばあさんは「あぁ、なんとつらく哀しいことよ」と李白の峨眉山月の歌のように嘆き悲しみ、
あきらめきれない様子。
その話を聞いた男第一村人、
「よし、ほんならボクが負うて、連れてったるわ」と足を骨折したおばあさんをおんぶして山を下り、
汗だくになって岩場の海岸を歩き、
おばあさんが死んでも死にきれないほど見たかった岩屋を見せてあげました。
そのとき、おばあさんが放ったひとことはいまも第一村人の胸に突き刺さっています。
「思ったよりたいしたことないな」。
第一村人はあまりのショックに、海へ飛び込みそうになりましたが、
涙をこらえておばあさんをおんぶし、元来た崖を登ったそうです。
後日、おばあさんから「その節はお世話になりました」と、
なぜか「ハウスバーモントカレー」が届いたとか。
なんでやねん!
そんな心温まる思い出話をしながら、岩屋の次はさらに西の漁港側へ。
大きな岩場に張り付くようにしながら進んでいくと、
荒波に削られ自然に開いたトンネルがあり、
頭を低くしながら中へ入っていくと、波が激しくぶち当たる海蝕洞穴があります。
高さは10メートルもありませんが、しぶきがかかり、波音が響き、
なんの防護柵もないミニ三段壁は、本物の三段壁以上にリアルな恐怖。
「やっぱりここは涼しいわ。夏に来たら気持ちええやろな」と笑う第一村人に、
「気持ちええ前に怖いやろ!」と突っ込む声も震え、
高所高速束縛密閉恐怖症の私は腰ぬけ状態で、
逃げるように海岸をあとにしました。
ゴールデンウイーク初日の4月29日、前回の日の岬パークに続いて今回は、
「アメリカ村」と呼ばれる移民のまち、三尾の集落をテクテクしてきました。
天気のいい昼下がり、「ぼちぼちいこか」と上田正樹と有山淳司な感じで、
カメラをぶら下げ歩いていると、「まいど!」とやたら威勢のいいオッサンに声をかけられた。
所ジョージのダーツの旅でいう「第一村人発見」、
そのオッサンはいつも仕事でたいへんお世話になってる人でした。
「こんなとこで何してんのよ?」と職務質問を受け、
「そらこっちのセリフやがな」と念じつつ、よどみなくこちらの事情を説明すると、
「そうかそうか? なんならボクが一緒に歩いて案内しようか」。
さすがはアメリカ、いや、アメリカ村。
海に面した小さな漁村はカリフォルニア(行ったことないけど)のような陽気さ、
訪れる人を温かく迎えるホスピタリティ精神があふれています(ほんまかえ?)。
お言葉に甘え、同じ村人から顔さしまくりの第一村人とともに、
わくわくドキドキのアメリカ村アドベンチャーがスタートしました。(静)
私たち隣まちの御坊の人らにとって、
「アメリカ村」と聞いてまず浮かぶのが御坊南海バスの「アメリカ村」のバス停。
集落の中心地、ちょっと広くなったその場所は集会場や公衆トイレ、
食堂(いまはもうやってません)などがあり、
ここへ来ただけでセンチメートルなちょっとした旅気分になります。
「○○ちゃん、これどう?」
第一村人が軽いどや顔でかましてきたのは、
古い木造平屋かわらぶきの公民館のような建物。
車では気づかなかったが、
近くで見ると映画『瀬戸内少年野球団』に出てくる学校のような和洋折衷の構造。
敷地全体が道より低く、塀で囲われているため目立たないが、
洋風の白塗りの玄関には「生活保護指定医」「国民健康保険療養取扱機関」などのレトロな鉄の表
札が残っている。
こは40数年前まで開業
していたアメリカ村唯一
の内科の診療所「山羽
(やまば)医院」。現在、
山羽医院は御坊市の小
竹八幡神社の近くに移
っていて、その診療所
自体は近代的な外観で
すが、道に面した塀は
一部が戦前の施設の古
い赤レンガをそのまま利
用。昭和20年7月の大
東亜戦争の米軍による
空襲で被弾した痕が残
っています。この先代の
山羽先生が開業してい
た三尾の診療所も、あ
まり知られていません
が、観光面でも十分活
用できるアメリカ村のシ
ンボリックな建物ではな
いでしょうか。
その旧山羽医院の向かいの路地から集落内へ。
夕方には甘い魚の煮付けの香りが漂ってきそうな狭い路地を野良猫目線で進んで行くと、
御坊や他の港町で見たこともないおしゃれな洋風住宅が目に飛び込んできた。
木枠のガラス窓、レンガのよう
なブロックを敷き詰めた玄関、
かわいい門扉、ドアの前には石
でできた丸い柱...。そのアメリ
カ村ならではのエキゾチックな
景観に、ヒロミ郷なら間違いなく
「ジャパーン!」と叫んだはず。
「いてるかいな?」。門扉を開
け、まるで自分の家のような感
じで中へ入っていく第一村人。
「ちょっとちょっと、勝手に入った
らまずいんちゃいますのん?」
「いや、よう知ってるさかかまん
ねよ」。あいにく、家の方は留守
でしたが、この異国情緒の中に
も、古きよき昭和の生命保険の
おばちゃんのようなフレンドリー
さがたしかに息づいていまた。
なんのこっちゃ...。
取材で何度か歩いたことはありますが、
私にはいまだ方向がつかめない路地の入り組むアメリカ 村で、
マイペースでどんどん突き進んでいく第一村人。
まちの風景に見とれ、ついつい置いていかれそうになりながら、
どうにも気になって仕方がないのが家の屋根瓦。
「これなんですの?」
パラダイスのおやじをてがう(面白くいじる)、
ナイトスクープの桂小枝探偵のような天真爛漫さで、
どの家の屋根も四辺が白くなっている理由を第一村人に尋ねてみた。
「万葉集にも詠われたように、三尾は昔から風速(かざはや)っちうてね。
海からの強い風で瓦が飛ばんように、瓦を漆喰で塗り固めたんのよ」。
御坊ではあまり見かけませんが、なるほど、そういえば、
台風の通り道の沖縄も、赤い瓦を白い漆喰で固めてある。
アメリカ村も石垣の塀が多く、瓦の色が赤ければまさに沖縄。
てぃーだ(太陽)かんかん、三線こそ聞こえてきませんが、
やはり海辺のまちは同じような暮らしの知恵が受け継がれているんですね。
目から目クソ、いや、ウロコが落ちました。
か100㍍ほどですが、いちいち
気になる風景は億千万の胸騒
ぎ。今度は異様な形のコンクリ
ート建築物が目に入った。道の
角に面した縦長の塔のような建
物は、昔の映画館のようなたた
ずまいで、窓のない大きなコン
クリートの壁を挟んでもう1つ、
同じような構造の住居があり、
その2つの高いコンクリートの住
居が木造かわらぶきの家とつ
ながっている。
「なんと変わった家やなぁ」と首をかしげていると、
表で布団を干していたその家のご主人が、気さくに声をかけてくれました。
そのご主人は東北の出身で、何十年も前に奥さんと2人で移住。
奥さんは数年前に亡くなり、いまは1人暮らしで、
ふるさとは先の大震災で大きな被害を受けたといいます。
気になる家の構造を聞くと、2つの高い塔は下の部分でつながっていて、
道に面した方の上は物置部屋で、
奥の方は狭いながらも居住スペースになっているそうです。
この日の前日には、私と第一村人のように、
家を珍しそうに眺めている女性が訪れたとのこと。
声をかけると、ご主人夫婦が移り住んでくる前のこの家の住人で、
「子どものころにここに住んでいたんです」と、懐かしそうに家の中を見て帰ったとか。
ここにもまた、海の向こうの異文化の影響がありそで、なさそで、うっふん...。
どないやねん!
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